フレディの遺言
フレディの遺言
私を介護してくれるあなたへのメッセージ
私が医者であったことをまず忘れてください。知識は遠いかなたへ消えさり、いまでは人の助けなしには一日も暮らせない別の人間になってしまっているのです。
そんな私にあなたは静かに話しかけてくださいね。
決して大きな声で私に話しかけないでください。あなたが大きな声で話すと、たとえあなたが怒っていなくても、私はあなたになんだかとても強く叱られたように感じて、怖くなってしまいます。
本来、やさしいと思っていたあなたに、「えっ、なに!おじいちゃん」「なにやってるのよ!」などと言われるたびに、私は恐怖におののくのです。
あなたが何か、私にさせたいのであれば、静かにゆっくりと話してください。また、私は変なことを言うかもしれません。
たとえば「蛇がいる」と私が言ったら、「なに言ってるの、蛇なんかいないわよ!」と大声で言うのでなく、「どうしたの?蛇はどこにいるの?」「どうしたいの?」「じゃ、蛇をどかしましょうね」とやさしく尋ね、そして、私が何を要求しても、その要求をまず受け入れてほしいのです。
私が「ごはん、まだか」と聞いた時も、「さっき、食べたでしょ!」と大声で叱るのではなく、「おなかがすいたの?じゃ、これ食べる?」と言って、クッキーの一枚でも私に与えてくださいね。
三度の食事のたびに、箸をうまく使えなくなり、食事をこぼしたりします。ですから、指を使って食べることもあるかもしれません。その時は、無理に箸を使わせようとせず、そのまま自由に食べさせてくださいね。
また、疲れてパジャマに着替えることもなく、そのままの姿で寝てしまうかもしれません。布団の上で寝ないこともあるかもしれません。その時も、ふとんをそっとかけてくれるだけでいいのです。
あなたを悩ますことのひとつに、私はあなたに「家に帰りたい!」と言うにちがいありません。
その時の私の心のなかは、とても不安定な状態にあるのです。
ですから、私が「家に帰りたい」と言ったら、家に帰る、帰れないという問題ではなく、まず、私が不安を抱えているということをわかってください。
そしてしばしば、私は自分の感情のコントロールがうまくできません。ですから、大変に気むずかしくなって、その日の気分によって、意地悪なことをあなたに言ってしまうかもしれません。また、あなたの気に入らないことをするかもしれません。
実は、その時の私の気分は最悪で、私自身もその気分が嫌で嫌でしかたがないのです。でもどうしようもできない。そこで、つい、あなたの言うことに反発したり、意地悪をしてみたりしてしまうのです。そんな私の心の内を理解してください。その理解がボケた老人には一番必要なものなのです。
そして私の病気の最大の特徴は、とても忘れっぽくなっていることです。
あなたが何度、怒っても、なんで怒られているか忘れてしまいますし、あなたが怒ったこと自体も忘れてしまいます。ですから、あなたが怒ったこと、大声を出したことを「なんで、あんなに怒ってしまったのだろう」などといつまでも後悔しないでくださいね。
私は、とうに、そんなことも忘れているのですから。
もちろん、忘れっぽいために、水道を出しっぱなしにしてしまったり、火の始末もできなくなってしまいます。ですから、そういうことを私ひとりでさせないでください。できれば、一緒にやってくれたら、こんなに安心なことはありません。
私を、正常だった時と同じ人だと思わないでください。私は何をやっても忘れるという病気なのだ、ということを決して忘れないでください。
こまったことに、いま目の前にいる人が誰だかわからなくなります。
でも、誰だかわからなくても、私は、私の目をしっかり見てやさしい声で話しかけてくれる人が大好きです。私は、その人が誰であれ、そういう人の言うことを聞こうとします。
私に何かさせたかったら、ひとつずつ、させてください。短い言葉で「ごはんよ」とやさしくいうだけでいいのです。また、私が何かあなたに尋ねたら、やはりひとつずつ短く答えてください。長い説明をされても、私にはそれを覚えることができないからです。
私に何か話しかけようと思ったら、私を見て、私のからだに触れながら、微笑みながら話してくださいね。
私の心がさびしい時、私は自分が育った時代、青春時代の音楽をとても聞きたくなります。それが何という曲だったかは、思い出せませんが、ただ、介護してくれるあなたと、その音楽を一緒に聞いたり、歌ったりしたいと思っています。
私の知性は、確かに衰えています。だから、感性にたよって生きていかなくてはなりません。その分感性は磨かれているかもしれません。
ですから、音楽以外でも、美しい夕焼けを見るとか、おいしい食事をするとかということをとてもいとおしくなっています。ひょっとしたら、正常だった時よりも、もっと感性は鋭くなっているかもしれないのです。
私に懐かしい音楽を聞かせてください。美しい風景を見せてください。素敵な匂いを嗅がせてください。着ごこちのいい洋服に身をつつみ、おいしい食事を味わわせてください。
私が認知症老人になったとき、私はやさしい人に囲まれて、残りの人生をごく自然に過ごしたいと思っています。
ですから、たとえアリババと四十人の盗賊に囲まれたとしても、私は盗賊のなかでも、一番やさしそうな人のそばにいたいのです。
どうか、私を介護してくれるあなたが、「ボケた心」を理解しているやさしい人であることを祈っています。
『ここまでわかったボケる人 ボケない人』(フレディ松川著/集英社刊)より