6月5日のMT結果:〇〇のような関係と例えられても
6月5日のミーティングは、女性1名、男性2名計3名で行いました。
この日は、都合により資料の読み合わせはしておりません。なのに、終了時間は10分ほど
遅れてしまいました。
仲間の話題を掘り下げて課題の整理をするつもりが、逆に質問をうけてファシリテーターである
私の捉われについて研究することとなり、中途半端なまま終了した次第です。
しかし、研究結果には、正解はなく、大切なことをユーモアを交え笑いながら話し合いを続けて
いくことなのでこれはこれを良いのだし、充分に価値のあるミーティングでした。
【当事者研究】
私が、お題としてあげたのが「〇〇のような関係と例えられても」です。
〇〇の中には、家族、親子、友達、同志・同僚、同級生、親友、恋人、夫婦、同い年、兄弟姉妹、親戚、同胞、同じ国の国民、同じ県の出身
などが当てはまるのですが、ACである私たちは、「まるで家族のように、、、、」と言われても源家族と照らし合わせるとポジティブなイメージが持ちにくいのです。
そして、親子関係にしても、自分を中心とした両親または自分を中心とした子供たちについてもイメージを大きくことなるのです。
また、友だち、仲間、親友などと相手側からその関係性を定義されても違和感を感じるのです。
時に同調圧力すら感じてしまうのです。
参加したメンバーからは、友達から「私たち友達だよね」と言われたら、相手が友達だと言ってくれるからそうなんだと考え、自分から見てその人を友達と思うかどうかの判断がつかない。
そして、自分の弱さや抱えている悩みなどは、そんな友達にはうち開けられないし、ましてや親友と
思えるような人もいない。
との意見がでました。
また、そのメンバーからは、「逆ににこっとさんはどうなのですか?」と質問され、ここから迷宮に
入って参りました。
私は、自分の信仰心や信念から他人の外見、社会的地位、年齢では判断せずに、その人の心の中にある
光(愛)を見るように心がけています。
努力はしているものの必ずにも、関係性を保つことはできていません。
本音と建て前とくに私の中にある腹黒さが、大きな矛盾を抱えています。
ミーティングにおいて、この先を掘り下げていけばよかったのですが、生憎時間切れとなり、棚上げと
しました。
☆☆次回のミーティングは、6月12日(水)に行います。☆☆
面白いものをお見せしますので、多くの方の参加をお待ちしております。