3月27日のMT結果:寂しさ、繋がれない理由
3月27日のミーティングは、先週病院から退院された仲間(男性)と2人で行いました。
読み合わせは、寂しさの136ページから146ページまで進めました。

【当事者研究】
閲覧者さんには、この写真の意味がまったく分からないと思われます。
私は、先週の土曜日にミニ観というセミナーを受けてきたのですが、人と人が真に繋がるということは
生死を超えた領域を意識していないといけない。現代のカウンセリングやファシリテーションでは
そこを無視している。クライアントがそんなことを話すと「トラウマ」があるとか「未完了の感情」が
あるなどと処理してしまう。
などの説明を受けた。
実際に私自身も、人と繋がっているという意識が薄く、寂しさや孤独を感じていることが多いので、この
セミナーを受講したのです。
で、私自身は、出会う人々とは魂同士の関わりを求めてお付き合いするように心がけています。
一方、仲間のR氏は、入院体験をお話になり、病院では自分から話しかけずとも、他の患者さんから
話しかけられるようになり、退院するときは多くの方に見送ってもらえたことをお話になりました。
そこで、「同志」と「仲間」の違いについて研究しました。
同志:共通の敵と対峙するために一時的に集まった集団で、事象が終わると解散するもの。
共通の敵とは、それぞれがそれぞれの病気に挑んでいることも含む。
なので、言葉を交わさずとも分かり合えたり、繋がりを感じたりすることもあるのでは。。。
仲間:仲間同士の間では、会話が必要。自助会に集まる人のことを仲間と呼び合う。
しかし、「私たち仲間よね」と確認しあうことは、同調圧力ともなりかねず、「仲間」という
言葉でお互いを縛ることにもなりかねない。
私自身は「仲間」を持っているが魂で繋がりっていると感じることは少なく、寂しさが消えることは
ない。
入院体験の仲間の話に戻りますが、彼は、ベットに横になっているのが嫌だったので、共有ルームの
テレビをよく見ていたそうです。テレビを見ていながらぶつぶつと独り言を言っていると、それに反応した
他の患者が自分に話しかけてくるようになった。こちらは意識していなかったけれど、私が発した言葉を
他の人が受信(キャッチ)していて、言葉を投げてくれていたので会話のキャッチボールやコミュニケーションが成立していたようだとお話くださりました。
以上
☆☆ 次回のミーティングは、4月3日に行います。 ☆☆