9月21日のMT結果:悪あがきのスイッチはなぜ生まれたか
9月21日は参加者5人で、第12章 悪あがきのスイッチはなぜ生まれたか P111~119までの読み会わせをしました。ちなみに、私は、他県への出張帰りで体力的には疲れていたものの、良いこともあったので精神的には元気で、気分体調は90%のあげあげでMTに参加しました。でも、自宅に帰った後は、このブログを書くまでのエネルギーは残っておらず、今朝早起きして作成しております。
では、いつものように要約から。
■ 基本的な9つの感情
感情には、恐れ、怒り、ショック、嫌悪、悲しみ、罪悪感、愛、喜び、好奇心があるが一般的に
前の6つを悪いもの、後ろの3つを良いものと解釈しがちです。
しかし、実のところ感情には良いも悪いもないのです。
そんな風に解釈するのは、「思考する自己」のせいなのです。

思考する自己の本当も狙いは、私たちを困り苦しませることであり、不快な感情を利用して、
○ この感情はネガティブで、危険で、不合理で、弱さの兆候だ。→ネガティブな感情は健康を害する。→自分の気持ちは隠すべきものだ。→自分の気持ちを吐露することは弱さの兆候だ。→強い感情を見せることは、コントロールを失うことだ。→女性は腹を立てるべきではないし、男は怖気づいてはいけない。→ネガティブな感情があるのは、人生に何かまずいところがあるためだ。
などとわめき続けたりします。
そしてそれは、幼いときに受けた教育のせいなのです。
■幼児期にプログラミングされたものは何か?
感情について幼児期に何を刷り込まれたかについて考えてみるのは非常に良いエクササイズです。
あなたは成長過程で
Q1 どんな感情が望ましく、どんな感情が望ましくないと教えられたか?
Q2 感情に対処する一番良い方法は何だと教えられたか?
Q3 あなたの家族が自由に表現していた感情はどれか?
Q4 どんな感情が抑圧され、あるいは歓迎されなかったか?
Q5 家庭内の大人たちは自分のネガティブ感情にどのように対処していたか?
Q6 こうした刷り込みの結果、あなたは現在自分の感情についてどんな見方をしているか、そしてそれにどう対処しているか?
■ 重要なこと
ACTでは感情を判断することをやめ、そのありのままの姿、常に変わり続ける連続的な感覚と衝動として見ることを奨励しています。
具体的な対処方法は、思考する自己(エゴ)が「この不安は最悪だ」と言ったら、あなたは自分に対して「自分は「この不安は最悪だ」という思考を持っている」と解釈することもできる。あるいはもっと単純に、「心よ、心配してくれてありがとう!」と言ってもよい。
エゴの判断へのうまい対処方法として、それにラべルをつけるというものがある。自分が判断したことに気づいたら、自分の中で「判断している」とつぶやく。その存在を認め、それが単なる言葉であるこ
とを認識し、あるがままにしておく。この方法の目的は判断を解き放つことで、止めることではない。
■ エゴが不快な感情を助長させる言葉
- 「どうしてこんな気分なんだ?」
- 「こんなことになるなんて、私が何をしたっていうんだ?」
- 「なぜ私はこうなんだ?」
「私にはどうすることもできない!」
「こんなふうに感じるべきではない」
「こんなふうに感じなければいいのに」
このようなエゴの唆しにのって、思考をフュージョン(癒着)してしまうのは、時間・集中力・
エネルギーの無駄になります。
■ 悪あがきのスイッチが生じる理由
これまで見てきたように、思考する自己(エゴ)は、不快な感情は悪だ、危険だ、不快な感情と協力するのは不可能だ、不快な感情のお陰で私たちは不完全で壊れていて、私たちを乗っ取り、圧倒し、害を為す存在なのだと言い続けることによって、悪あがきのスイッチを作り出ししているのです。
後半の当事者研究は、自己主張をテーマに分かち合いやクロストークをしての掘り下げを行いましたので、そのことについては後日アップします。
※ 次回は、9月29日(木)にミーティングを行います。