9月20日のMT結果:ありがとう、感謝、幸せと喜び
前回のブログ更新が8月23日でしたので、約1か月振りの更新です。この間は、コロナだったり、
参加者ゼロの日があったり、わたしのサボりなどの理由で更新で出来ておりません。
さて、9月20日のミーティングは、新しい女性1名を加え、4人で開催しました。
常連男性メンバーのY氏がしばらくお休みなので、勝手に心配しております。
では、読み合わせ箇所を要約して振り返ります。
■ 愛と信頼関係
真の信頼関係を感じたければ、本当の自分を出さなくてはならず、そのためには自分を真の意昧で愛さなければなりません。
■ 感謝と喜びの相関関係の真相
1 喜びにあふれた人たちは、積極的に感謝する気持ちを育み、喜びを得られるのは感謝するおかげだと感じている
2 喜びと感謝の気持ちは、意識のトレーニングによってわいてくるものであり、意識をトレーニングしていると、信頼や自分より大きな力を信じる気持ちも膨らんでくる
3 喜びにあふれた人は、幸せと喜びは違うものだと断言する。幸せは環境に左右されるが、喜びは環境が何であれ、感謝の気持ちをもつことで生まれる
■ 感謝は「動詞」で表現する
感謝の気持ちを「実践する」には、その日に起こったいいことを「感謝の日記」につけ、「ありがとう」の気持ちを強化する瞑想をし、気持ちをアートで表わすようにすること。
とくにストレスがかかる忙しい日には、「私は○○に感謝します」と、実際に声に出しているそうです。
要するに、「行動すること」が必要です。
行動に移さない感謝は、機能しない信念と同じで。生きていないのです。※ 「実践なき信仰は死」とも言われてます。
■ 「幸せ」と「喜び」の関係
幸せは環境に左右され、喜びは精神と感謝の意にもとづいている。
また、喜びも幸せも永遠ではありません。どちらも訪れては去っていくものですから、四六時中、喜びや幸せを感じているという人はいません。
幸せは外的な状況や出来事に関連し、その環境とともに変化します。一方、喜びは精神と感謝の意で絶えず心とつながっていますが、実際の喜び--精神的な深いつながりと楽しみがもたらす激しい感情--は、とてももろいのです。
人には幸せも喜びも必要です。
大切なのは、自分が幸せになれる経験を自ら招き、認識すること。人はみな、幸せを求めるだけでなく、喜びを--とりわけ感謝の意識につながるように--磨かなければなりません。
そのためには、喜びと幸せを邪魔するものを、しっかりと見極めておかなければなりません。
【当事者研究】
後半の当事者研究では、新しく参加してくれたHさんの回復体験をうかがいました。
体験は知識に勝るとはまさにこのことで
複数のアディクションによる入院でプログラムにつながるも、他人にどう見られるかが気になり、
色々と気づくことがあるけれど焦る。自分を責める。もやもやが募る。そんなことを繰り返して
いるときに、自分の中に居た小さな自分に気づく。
この小さな自分にはダメと言いたくない。この子も自分の事をダメだとは言わないし、責めることも
しない。
さらに辛い出来事に遭遇し、もうどうにでもなれと死にたくもなったけれど、その気持ちに反して
デイケアに通った。そして、どうにもならない自分を投げ出して仲間に委ねた。
過去にいろいろと辛い出来事に遭遇したけれど、その時々の自分は、私なりに精一杯に生きてきた。
両親は親なりの愛し方をしてくれていたのだろう。自分も自分の娘に辛く当たったこともあるけれど
自分なりに精一杯に愛してきた。
そんなことを頭で理解するというより、体験をとおして腑に落ちたようだ。
なので、今の自分は豊かな気持ちで満たされている。これからも以前の様に気持ちの浮き沈みがある
かもしれないけれど、今の感覚を大切にしていきたい。
などとお話になってくれました。
※ 福岡では、毎年12月にアディクションフォーラムが開催されているので、この体験談を
発表して欲しいと願ってやみません。
あら、この日は、私(にこっと)の誕生日でないですか。☆☆