5月24日のMT結果:他人に合わせてばかりの人生に真の友情はあるのか
ご無沙汰しておりました。5月10日から21日までの12日間私が四国のお遍路に出ていたので
第2と第3水曜日を休会していました。
久しぶりのミーテングでは、男女合わせて9名参加で行いました。読み合わせは、59ページの
「カメレオンに真の友情はあるか」から「自分を低く見積もるのは美徳ではない」の節65ページまで
進めました。
とりあえず、要約のうえ振り返っておきます。
■ 愛と信頼関係
私たちは「人に合わせること」と「人とつながっていること」を混同しています。
人の合わせるとは、環境によって肌色を変えるカメレオンと一緒。
今回の研究でポイントになるのは、「人に合わせること」と「人とつながっていること」は違うという点だけでなく、「人に合わせてばかりいたら、心からつながることはできない」という事実です。
NG:人に合わせるというのは、状況を判断し、「こうすれば受け入れられるであろうという人間」を演じること。
Good:人とつながって信頼関係を築くとき、本当の自分を変える必要はなく、ただ「ありのままの自分」でいればいいのです。
【でも、そのありのままってのがよく分かりませんよね】
■ 人間関係の3つの真実
1 愛と信頼関係は常に不確かなもの
人間関係は生きていくうえで一番大切な要素ですが、正確に測定することは不可能。
人と人の間にある、言葉にはできない空間に生じるもので、この空間を完全に理解することは
できない。
2 愛は信頼関係の一つである
愛と信頼関係の概念は切り離せず、喜びと感謝もしかり。
感情や経験がしっかりと絡み合って切り離せなくなったなら、それは単なる偶然のもつれでは
なく、意図的な結び目です。愛は信頼関係の一部なのです。
3 老若男女を問わず、すべての人に不可欠なもの
人間は、生物学的、意識的、肉体的、精神的に、愛し、愛され、つながるようにできています。
この必要が満たされないかぎり、人間本来の機能を発揮することはできません。
心が痛み、壊れ、感覚が麻痺し、病気になり、さらには他人を傷つけてしまいます。
■ 自分を愛する(ありのまま受け入れる)とは
人を愛せば、愛を知らなければけっしてたどりつけない深い愛と思いやりの世界に到達できる。
その深さを実感するには、いまの自分の姿を掘り下げなければならない。明るいのか暗いのか、
善人なのか悪人なのか、愛にあふれているのか破壊的なのか。あるいは、両方をもち合わせている
のか。つまり、相手を深く愛するためには、自分自身を理解する必要がある。
愛という感情は激しい。きっと、相手を自分以上に愛していると思いこむだろう。
激しい愛を経験すると、己の奥深くへと入りこまざるをえなくなる。だからこそ、自分自身を思い
やれるようになるのだ。
【「愛している」を理由に、相手を自分の都合の良いように変えようするのは間違っていないだろ
うか?】
いまのあるがままの自分を愛し、受け入れることは、とても勇気がいります。
「自分は二の次」と教える社会では、それこそ革命的ともいえる行動です。

【当事者研究】
この資料を読んで、ファシリテーターである私自身を振り返ってみました。
端から見ている人間関係で、異性間では「愛している」を条件に、愛しているならこうすべきだ
などと相手に要求することがあるようです。また、同性間では、「友情」「友だち」「親友」を
条件に、お互いの境界線を踏み越えてしまい相手に嫌な思いをさせてしまうこともあるようです。
ありのままの自分でいるということは、ありのままの相手も尊重しないとその関係性は成立しません。
相手に合わせてばかりいると本当の自分はどんな存在で何を欲しているのかを見失ってしまいます。
それでも、自分自身に向き合うことはとても難しく勇気が必要です。
12ステップグループでは、ステップ4の人生の棚卸しで、過去と現在の自分に向き合うことにあるのですが、このステップを踏むことに躊躇する人も多いようです。
共依存症で完璧主義の私、これは病気なのですが、仕事でもボランティアでも「やれている自分、できる
自分」なければ、生きていけないと思い込んでいました。過去に燃え尽きを経験したにも関わらずです。
どうかすると、仕事ができない人を目にすると内心で見下してしまうこともありました。
仕事ができなくてもその存在を認められ、受け入れられている方のこと羨ましく思うこともあります。
しかし、病気の私は、できない、仕事をしない自分を受け入れることができません。
だから、ついついお節介をして、できない人を自分のレベルまで引き上げようといたらぬ努力をしてしまい
がちです。
ところで、この日は、I 氏の事例も研究したのですが、その事例は別のスレッドで記録を残します。
※ 次回のミーティングは、5月31日(水)です。