12月21日MT結果:あなたは自分が考えているような存在ではない
12月21日のミーティング参加者は4人で、読み会わせは第23章 あなたは自分が考えているような存在ではないP192~P200まで進めました。これでこの本の第2部が終わり、次回からは第3部「生きるに値する人生を創造する」に入ります。
それでは、簡単な要約をおこないながら振り返っておきます。
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あなたが考えていること、イメージしていること、思い出していることが何であれ、あなたの中には思考とは切り離された部分がある。活動中の心を観察し、それが何をしているか気づくことのできる部分だ。
本書で観察する自己と呼んできたもので、様々なエクササイズでそれを使ってきた。呼吸や思考、感情などを観察する時、それを行うのがあなたの中にある観察する自己だ。
日常のコミュニケーションでは、自己について主にふたつの言い方がある。
- 肉体的な自己(私たちの体)と
- 思考する自己(私たちの心)だ。
観察する自己に関してはほとんど語られることがないので、私たちの言語にはそれを表す言葉がない。しかし、それなしでは自己認識も心理的な柔軟性も持ち得ない。
※ なので「何かに意識を向けている自己」に意識を向けるエクササイズをワークしました。
仲間の感想は、このワークで、自分の意識がどんどんと上にあがっていき、高い位置から自分を見下ろす
感じとか自分を俯瞰している感じなどがありました。
■ 観察する自己はすべてを見ている
観察する自己は思考や感情ではない。それは、あなたが思考や感情を観察する視点だ。ある意味では、それは「純粋な気づき」とでも呼ぶべきものだ。なぜならそれは、「気づき」そのものだからだ。
あなたが考えていること、感じていること、知覚していること、していることが何であれ、あなたの中のこの部分は常に存在し、自分の行動に注意を払っている。あなたが自分が考えていること、感じていることが何であるか知っているのは、この部分が自分の思考や感情に気づいているからだ。観察する自己なしに、自己認識というものはあり得ない。
■ 観察する自己はアクセプタンスの源
観察する自己は、善か悪か、正しいか間違いかの判断を下すことはない。それは観察以外のことはしない。あなたが間違ったこと、悪い事をしても、観察する自己には何の責任もない。それは単に行動を観察し、気づきを促すだけだ(その結果あなたに学びの機会をくれる)。さらに、観察する自己はあなたについての判断を下さない。判断は思考であり、観察する自己は考えることができないのだ。
観察する自己は、価値判断、批判、あるいは現実との戦いを引き起こすその他の思考プロセスを行うことなく、物事をあるがままに見る。それは真実の純粋なアクセプタンス(受容)の形である。
観察する自己はいかなる方法によっても進歩することはない。それは常にそこにあり、切れ目なく、完全に働いている。私たちはそれに繋がればよいだけ。
観察する自己は傷つけられることもない。体が病気や加齢、怪我などで衰えると観察する自己はそれに気づく。痛みが起これば痛みにも気づく。その結果悪い考えや記憶が起これば、観察する自己はそれにも気づく。だが体のダメージや苦痛な感情、そして悪い思考や記憶は、あなたの中に存在する、それらを観察している部分を傷つけることはできないのだ。
■ では、わたしたちは何もの
「私が自分の心ではないとしたら、一体何なんだ?」この質問への単純なな答えはこうだ。「あなた」は思考する自己と肉体、そして観察する自己の複合体だ。それらはすべて「あなた」の異なる側面なのだ。だが、観察する自己は、それらの中で唯一不変の存在だ。それはあなたが生まれてから死ぬまで、同じ形で存在し続けるのだ。
観察する自己につながるのは非常に簡単だ。あなたが知覚しているものを選ぶ。見ているもの、音、匂い、味、感覚、思考、感情、動き、体の部分、物質的な対象など、何でもよい。そしてそれに注意を向ける。それを観察しながら、そうしている自分に気づいてみだけ良い。■ まとめ
心理的柔軟性は二つの部分からできている。
1.オープンな心、気づき、集中力をもって状況に順応する能力 と
2.価値に従って効果的な行動をする能力である。
この本の第二部ではおもに1の部分、この一瞬に起きていることに心を開き、気づき、集中する(つまりマインドフルネスだ)に焦点をあて、第3部では2の部分に焦点を当てる。
価値観を明確にし、効果的な行動をする。自分の望む人生を創造するために行動を起こすと、恐怖や不快な思考、感情が起こってくるのはやむを得ない。しかし、脱フュージョンや拡張、接続を使うことにより、こうした障害の乗り越見方が分かってくる。自分の内部に、あなたがもっとも困難な思考や感情、記憶を観察できる避難所を持つ。そこから観察しているのは、それらの思考、感情などが決して傷つけることのできない自己なのだ。
後半の当事者研究では、アルコール依存症回復途上の仲間の分かち合いで
飲み会の場所に居る自分を振り返り、もっと居心地のよい自分でいられるため
の研究を行いました。
ファシリテーターや他の仲間は、話題提供者のことをもっと分かりたくて質問を繰り出します。
質問やフィードバックに対しては、「いや、そんな風じゃなくて」と自分が感じている世界を
他の仲間にも理解できるように言語化してくれる。
こそが当事者研究の醍醐味だと思います。
具体的な研究内容や成果は、私が記憶力と語彙力に乏しいために省略します。
※ 次回ミーティングは、令和5年1月4日です。