11月15日のMT結果:カッコ悪い自分も素敵だ!
11月15日のミーティングは、女性1名、男性3名計4名で行いました。読み合わせは、228ページからおわりにまで進め、この本(「ネガティブな感情」の魔法「悩み」や「不安」を希望に変える10の法則)を読み終わりました。
では、要約と振り返りを行います。
■ 「カッコ悪い自分」が一番素敵だ!
お腹を抱えてゲラゲラ笑い、思いっきり声を出して歌い、誰にも見られていないかのように踊ることは、まぎれもなく心の栄養になります。また、これは弱さを受け入れる訓練にもなります。
笑い、歌、ダンスにはネガティブ思考の引き金だらけです--臆病、まぬけ、バカ、鈍感、カッコ悪い、おかしい、未熟、みっともない、バカバカしい、と思われないか不安になることは目に見えているから。
ネガティブな心の声は、自己表現よりも自己防衛と自意識を優先させます。
自己防衛や自意識により、自制するのは必ずしも状況をコントロールするためではなく、たいていは周囲にいい印象を与えたいと思っているから。他人が自分をどう思うかをコントロールし、満たされたいのです。
他人によい印象を与えたいし、悪く思われたくないという自意識が過剰になっているのです。
特に「上手にこなせない」はイコール「恥ずかしい」ことであり、恥ずかしいことはしてはいけないと
禁止していたりします。
■ デパートで8歳の娘が踊り出したら
デパートの靴売り場では、おしゃれな女性が三人いました。みな長く整った髪を細い肩に垂らし、ピンヒールのブーツをはき、スニーカーを試しばきしている愛娘たちを見つめていました。
そのそばで8歳の娘が、店内で流れているポップスに合わせ、楽しそうに踊っていました。
まわりのいかにも上品な母親たちと子どもたちが踊る私の娘を凝視し、しかめっ面です。
そんな様子に気づいた娘が、不安な目で、私を見つめました。
こんなシーンで、あなたが母親だったら、どんな対処をしますか?????
A 感情的な反応をし、娘をにらみ「何をやってるの!大人しくしていなさい!」と叱る。
(恥ずかしい思いをしたくないという気持ちが勝って、罪のない娘を裏切り、自分を守ろうとする)
B (純粋なやさしさも相まって、恥ずかしさへの恐れを乗り越えようと自分に言い聞かせ)、周囲の母親 達を一瞥してから娘に向かって、できるかぎりの勇気を振りしぼり、
「"ほかの踊り"もやってみたら?」とにっこり微笑み、一緒に踊る。
このシーンでのキーポイントは、「裏切り」です。
クールでいることに重きを置き、時に不器用だけれど、情熱的で、自分らしい自分を表現する自由を抑えつけたら、自分に嘘をつくことになります。
自分を解放できなければ、他人の自由も許すことはできません。
こういう人はやがて他人をけなし、バカにし、彼らの行動をあざ笑い、時には恥をかかせるようになります。意識的に、あるいは、無意識に、そうしてしまうのです。
自分を裏切り、嘘をつき続けると、愛する人をも裏切ることになるのです。
こんな言葉を人に言うようになったら要注意です。
「あなたってどうしてそうなの?もっと冷静になって」
人生はとても貴重なものです。冷静に振る舞ってつまらない生き方をするより、笑い、歌い、踊るチャンスを逃さないでください。
【当事者研究その1】
休憩の後、ファシリテーターの私は、「アンパンマンマーチ」を皆の前で歌い踊りました。
その理由は、恥ずかしいを抵抗なくやることを自分の年間テーマにしているからです。
歌も踊りも上手ではないけれど、恥ずかしいという内側の気持ちを消したいのです。

画力のない私は、こんな絵をホワイトボードに書きました。さて、どんなことわざを表現したのでしょうか?
正解は、「出る杭は打たれる」です。
「出る杭は打たれる」をテーマに分かち合いを行いました。
● 誰がどんな理由で打とうとするのか?
● 打たれた杭はどんな対応をすればだろう?

◆ 集団心理、妬みややっかみ、同調圧力
◆ みんな一緒で横並びでなければいけない
◆ 叩かれたら叩き返す、仕返しをすることがひいては戦争に発展します。
◆ 日本では、「戦後」なんで言葉が使われることがあるけれど、地球や世界規模では
戦争が起きているので、まさに「戦中」であったりする。
◆ 戦中であるならば、私たちひとりひとりにできることは何?
◆ 誰が打っているかの問いには、「自分で自分を打っている」という意見もありました。
◆ 他の人と比べて優れていたり、劣っていてはいけないとの思いがあるから
◆ 「恥ずかしい」とか「他人に迷惑をかけてはいけない」などの気持ちはいつからどのようにして
育まれているのだろう。
◆ 「どんぐりの背比べです」「誰が背が高いとか痩せているとか太っているか」と比べてもどんぐりは
どんぐりです。
◆ そして、人それぞれに個性や特徴があっても、人は人で同じなのです。
【当事者研究その2】
久しぶり参加のHさんの分かち合いです。

先日、支援員さんとの面談で、長い付き合いですしその人のことを信頼しているから
正直な気持ちを話していたのですが、、、
ふと相手の顔色を伺って、もしくは、些細な発言から、「この人は自分を馬鹿にしたり
見下したりしているのではないか」と疑いの気持ちが沸いてきました。
面談の後も「みっともない」「みじめだ」「自分はぶざま」だと思えて、孤独に感じました。
別のある日、支援員さんが「そんな気持ちがあるからあなたはここに居るのでしょう」って言って
いたけれど、その意味が理解できませんでした。
ひとを信じたいのですが、信じられないのです。信じることには勇気がいるし、むしろ怖いのです。
★仲間からのメッセージ★
私たちは、機能不全の親に育てられた影響から人を信じることがとても苦手です。
ACの自助会でのフレーズに「周りを見回そう、そこには自分と似た人がいます」「もはやあなたは
ひとり(孤独)ではありません」などがあります。
また、「見捨てられて傷つくくらいなら、自分から離れていったほうがまし」という気持ちから
衝動的に別の場所を探そうとしがちです。
しかし、踏みとどまって「不安」「みじめさ」「ぶざまだと思う気持ち」などを分かち合っていくことで
少しづつ回復が進むものです。
☆☆ 次回のミーティングは11月23日(祝日)に行います。☆☆